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平成最後の犬神家の一族 2018 感想 [ドラマ]

平成最後の犬神家の一族

ということでしたので、久しぶりに犬神家の一族を観てみましたが、ただ役者さんが代わっていただけで、真新しい解釈などあるわけもなく、ストーリーを知っているので途中ちょっと退屈だったんですけれど、ただパツキンではない三橋が出てきたのには、たまげました。

とにかくわからないことばかりなのですが、この救いようのない悲劇が起こった唯一の原因は、佐清(スケキヨ)の母は、犬神左兵衛の遺言の内容を知っていたにもかかわらず、スケキヨを名乗る顔が潰れて人相がわからなくなってしまった男が戦地から復員してきたことにあります。

ホンモノの佐清の言に、隣の部隊だかに自分とそっくりな男がいるという事を聞くに及び、わざわざその男に会いに行ったようですから、怪我を負う前の青沼静馬は確かにスケキヨに似ていたのでしょうが、なぜまた横溝正史は静馬の顔を潰すことにしたのでしょうか。

思うに、本来は美青年であった佐清の顔が潰れてしまっていることで、左兵衛の遺言を知っている松子は、佐清が復員して来さえすれば、野々宮珠代の意思に託されていた犬神家の相続は、何の問題もなく嫡男であるスケキヨのものとなるはずだったのですが、スケキヨのあの顔ではさすがに愛していたであろう珠代も、百年の恋も冷めるという最悪な状況になることは目に見えていましたので、佐武、佐智とひとりひとり殺害されていく羽目になったのでした。

しかし、なぜまたスケキヨが手形を押してホンモノの佐清に間違いないと思わせることが出来たかというと、静馬と背格好が同じであろうホンモノの佐清が、例の仮面を被って登場していたということですので、その時には青沼静馬と佐清は結託していたことがわかります。

しかし、どの時点で結託したのかはわからずじまいです。犬神家の相続争いに、はなから有利であるはずの佐清に、瓜二つという顔の持ち主である青沼静馬が、復讐の怨念により、スケキヨとなって松子の前に現れ、犬神家を滅ぼすという構想が静馬にあってもおかしくはありません。

ただしかし、瓜二つとは言ってもさすがに母親である松子は騙せないのではとの危惧から、まさか自分で顔を潰したとは思いにくいですが、松竹梅の鬼女たちに「ヨキコトキク」の左兵衛から与えられた犬神家の家宝を奪われ、信州の地から追われた母親と静馬ですから、憎んでも憎みきれない一族であることは明確であり、焼け火ばしを足につけられた正に鬼としか思われない松子には、ことさら憎悪を抱いていたでしょうから、犬神家を没落させるため、或いは犬神家を乗っ取り当主となるための、くわだてに必要となるならば、自分の顔すら潰すことも辞さないであろうと考えるのも、あながち外れてはいないかもしれません。

ビルマだかの戦地で、彼と瓜二つの人物がいると知った佐清が、わざわざ他所の部隊にまでその噂の真偽を確認しに行ったのは、青沼静馬の存在を知っていたからでしょう。しかし、父親が同じなのですから、似ていても不思議ではないという程度の事であり、まさに瓜二つの人物とは思いにくいですから、背格好は確かに同じであり、他人からすると似ている人物だったのでしょう。

まるっきり一卵性双生児のように、ほんとうに似ていたとしても、毎日顔を合わす人ならば、明確に違いがわかりますし、まして母親が認識できないとは思えませんので、わざわざ自分の顔を潰したという線もありだとは思うのですが、戦地で顔に大火傷等を負い、その際にこれはもしかしたなら復讐に使えるのではないのかと、そこから復讐劇を構想していったのかも知れません。

佐清が、青沼静馬の事をどのように考えていたか知るすべもないのですが、もしかしたなら佐清の入れ知恵により、ナリスマシが行われたのかもしれません。

或いは、単に復員の時期が静馬よりも佐清が遅く、信州に帰り着いた時には、すでにスケキヨが自分になりすましていたということなのかも知れませんが、とにかくふたりがある時点で結託したことは事実であり、チカラづくで野々宮珠代を自分の物にしようとした佐武、佐智が次々と殺されたあと、ついにはスケキヨになりすましていた静馬も、前衛的な生け花みたいに、逆さまに湖に突っ込まれて殺されてしまったということで、結託といっても佐清は、まんまと静馬を利用していたのかもしれ知れず、つまり佐清は、はじめから静馬を殺すつもりであったのかも知れませんが、そこら辺は何が何やら真相はまったくわかりません。

佐清が、ほんとうに罪を償うために自死を選んだというならば、わざわざ珠代の前に姿を現わす必要もなく、とっとと死んでしまえばいいのですが、手紙やらメモを珠代に残すというかなり未練があるようなやり方でしたし、あの逃走の果ての未遂に終わったピストル自殺も、実は狂言なのかも知れませよ?w

それはつまり、静馬を殺したのは紛れもなく彼なのでしょうから、その罪は償わなければならないことは承知の上であり、その上で「情状酌量の余地あり」を狙った行動だとも思えるからです。

最後になりましたが、何か加藤シゲアキさんの金田一耕助が、批判されているようですけれど、ゼロ〜一攫千金ゲームに引き続き、ぼくは加藤シゲアキさんの演技が好きでした!




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